ヒストリー
事務局が語る「中原恵人」ヒストリー
「不登校・ひきこもりの青少年への支援」
1994年(平成6年)、筑波大学在学中に学習塾を設立。
そこから子供達への教育支援をはじめ、2003年には「不登校・ひきこもり」の青少年支援NPO法人「Future school *燦*」を設立し、現在も理事長を務めている。
2005年、茨城県委託事業「ひきこもり当事者への社会参加支援事業」受託。
2006年にはNPO法人「若者サポートステーションいばらき」を設立し、初代代表となる。
そうした中、子供達への教育と心理を学ぶために、NPO代表として子供達への直接支援を展開しながら、2008年に「放送大学教養学部発達教育専攻」を卒業。2011年には「東京福祉大学大学院臨床心理学専攻博士課程」を卒業した。
当時は、結婚したばかりの自宅に、家庭内暴力で荒れている子供や、いじめにあって対人恐怖になっている子供達を預かり、10名程で共同生活を送り、子供達が中原を「シゲ兄(にい)」と呼ぶ中、勉強、スポーツ、農業などのカリキュラムを展開していた。
ひきこもって部屋から出てこない子供の家への訪問支援や、保護者へのカウンセリングなどの家族支援も行う中、子供達の数やスタッフの数が増え、新たに自前でのスクール建設となり現在に至る。
「政治家としての道」
時を同じくして、日本の政治は大きな転換期を迎えており、自民党が分裂。 「新党さきがけ」や「日本新党」が誕生していた。
元来、「人が好き」で「人と人が織り成す一番大きなハーモニーこそが政治」と考えていた中原は、 学生、社会人向けに開講された「さきがけ塾」の一期生となり、 武村正義代表の下、政治の勉強はじめた。
そうした中、96年の総選挙に「平成竜馬」のキャッチフレーズで立候補することになる。(後に中原は「真剣に教育と政治に取り組んでいたけれど、学生でありながら年齢が25歳、全国最年少だったことや(総選挙時は26歳)、中学時代からバンド活動を展開しており長髪だったことなどが衆議院選挙の党公認に選ばれた理由」と笑いながら語っている。)
しかし、この選挙直前に「民主党」が結党。鳩山由紀夫らが「排除の理論」により「新党さきがけ」の武村正義を入党させない事態となる。他の「新党さきがけ」の新人候補はみな民主党に移籍する中、 中原だけが「初心を貫く。選挙の為に党を抜けることはしない」と述べ、新人候補では唯一「新党さきがけ」に残り96年の総選挙を戦うも落選。
96年の総選挙落選後も、市議、県議への立候補の誘いがあったが、 すべて断り、そこから15年間、「教育支援」に専念する。
しかし、NPOとして支援活動をどれだけ続けても「不登校・ひきこもり」の青少年が生み出されてくる現状や、県や国レベルでの支援体制の不十分さを見る中で、「政治でなければ変えられないことがある」と思うに至り、
長男誕生により住まいを移していた妻の実家がある吉川市(東第15区)から、2011年(平成23年)4月10日の埼玉県議会議員選挙に無所属で出馬[1]。自由民主党の現職議員を破り初当選した。
この時、中原は吉川市に住んで5年程。NPO代表としての仕事は茨城県つくば市へ通っていた為、ほとんど友人、知人が吉川市にいない中での立候補であったが、毎日早朝4時過ぎから駅に向かい、駅前の掃除をした後に始発から午前9時まで駅立ちを4カ月間1日も休まずに続けた結果、知名度も上がり、応援者も急増した。
結果、議長経験者の現職議員を破り当選。
当時当選した県議の中では、唯一の市議や秘書の経験や政党関係では無い一般人の当選であり、驚きを持って県議会に迎えられた。
県議時代は、教育分野に限らず、吉川橋架け替えをはじめとする都市整備、埼玉型圃場整備や鳥獣被害対策等の農政、さいたま劇場との連携など危機管理など幅広く活動する傍ら、市民への情報公開、市民からの政策提言など市民との協働に力を尽くした。
そうした中、スピード間ある政策実行には「市長になるべき」と考え、
「価値ある未来を、共に」をスローガンに、2015年(平成27年)2月22日の吉川市長選挙に無所属で出馬。市議のほとんどが5期目を目指す現職市長を支持する中、投票率は約10アップし、初当選。
「市長として」
2015年3月7日に市長に就任するとすぐに、「市長キャラバン」「どこでも市長」「市長とランチミーティング」「市民シンクタンク」「市民団体助成未来ステップアップ助成」などを展開し、市の長年の課題だった「新庁舎の建設」は2018年5月7日に開庁式を迎え、「吉川美南駅東口開発」は2017年末から造成開始、「新中学校の建設」は2018年7月から工事開始と全てに結果を出した。
また「志教育と非認知能力向上」をテーマとする教育大綱の策定、「吉川市における幸福実感向上を目指したまちづくりのための産業振興基本条例」の策定をはじめ、障害者政策、高齢者政策など各分野にしっかりと理念を打ち立て、そうした中で、高齢者タクシーチケット配布、障害者の就労支援やスポーツの充実政策を展開している。
そうした中でも特筆すべきは、「演劇」と「なまず」によるまちづくりだろう。
「演劇」においては、県議時代から繋がりを深めていた彩の国芸術劇場の演出家故蜷川幸雄氏の後押しもあり、「さいたま芸術劇場」との連携により、子供から高齢者までが参加する「演劇ワークショップ&演劇公演」を展開。
音楽、踊り、美術、文学を内包し総合芸術と呼ばれる「演劇」を騎手事業に、「芸術文化を総合政策とし、様々な分野の課題を解決する」という理念を打ち立て、高齢者の認知症予防、ひきこもりがちな若者の社会参加、子供達の非認知能力向上、地域の絆づくりなどに取り組んでいる。
「なまず」においては、吉川市は「なまずの里」として以前より「なまず」によるまちおこしを展開しており、それをさらに加速させるべく、中原自ら全国を周り、「なまず」でまちおこしをしている自治体や「なまず」料理に取り組む料亭、「なまず」をモチーフに創作する芸術家などに声をかけ、吉川市において「第1回なまずサミット」を2017年2月に開催した。
「なまずサミット」では「なまず」による産業振興はもとより、歴史文化の継承、環境保全、災害対応連携などが宣言された。
2017年7月2日には早くも「第2回なまずサミット」が広島県神石高原町で開催。「7(な)0(ま)2(ず)」である同日を「全国なまずの日」として正式に登録した。
2018年6月には福岡県大川市において「第3回なまずサミット」が開催され、「国連のSDGsに連動し、持続可能な社会づくりを『なまずサミット』を通して目指していこう」と宣言され、新たな取り組みが始まろうとしている。
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