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中原恵人が主宰する教育系NPO法人



 

ヒストリー

「事務局が語る」中原恵人ヒストリー

筑波大学政治学科在学中に立ち上げた学習塾で「不登校・ひきこもり」の子供達と出会い、 現在に至るまで、子供達への支援活動を続けている中原恵人。 さて、そんな彼のヒストリーとは!?
  • ガキ大将であり、神童でもあった小学生時代。
    ところが、それが人生のピークだったのか、案の定、中学、高校時代と下降線をたどり「ただの人」に…(苦笑)。
    どうにか高校は卒業したものの、大学に進学出来るのか?バンドで喰ってゆくのか? それとも世界放浪か?という長い暗黒時代を経て、22歳でようやく筑波大学に進学。
  • その後は、それまでのうっぷんを晴らすように、大学在学中ながら、学習塾や ライブハウス、ギャラリーを経営し、さらには農業活動、イベント企画、教育系市民活動などを展開し、 高校時代から付き合っていた、奥様(皆さんもご存知、大久保クリニックの絵理先生!!)と25歳で学生結婚。

  • そのとき日本の政治は大きな転換期を迎えており、自民党が分裂し、 「新党さきがけ」や「日本新党」が誕生。
    元々「人が好き」で「人と人が織り成す一番大きなハーモニーこそが政治」と考えていた中原恵人は、 「新党さきがけ」の理念の素晴らしさに即ノックアウトされ、すぐさま「さきがけ塾」の一期生となり、 武村代表の下、本物の政治を勉強しはじめることに。

  • そして96年の総選挙に学生のまま「平成竜馬」のキャッチフレーズで立候補。
    この時に民主党が結成され、「新党さきがけ」の他の新人候補はみな民主党に移籍する中、新人候補では唯一、 中原恵人だけは「新党さきがけ」に残り、初心を貫き選挙を戦うも落選…。
    中原恵人26歳の秋であった…(笑)

  • 96年の総選挙落選後も、市議、県議への立候補の誘いがいくつかあったが、 すべて断り、「教育」の道を進み始めた中原恵人。
    当時結婚したばかりの絵理先生(大久保クリニック副院長)と大きな一軒家を借り、 家庭内暴力で荒れている子、いじめにあって対人恐怖になっている子等を預かり、10名程で暮らし始めた。

  • 下は小学生から上は20代半ばの子達との共同生活。
    子供達は中原を「シゲ兄(にい)」と呼び、毎朝子供達に弁当を作ってやり、 学校に行ける子は学校に送っていった。
    有機農業にもみんなで取り組み、晩御飯は全員そろってからいただくなど、 それはまるでドラマのような日々で、涙あり、笑いあり、毎日があっという間だったと言う

  • こうして中原恵人は「人と人が織りなす一番大きなハーモニー」である「政治」から離れ、 「子供達一人ひとりの心」を見つめる「心理」へと向かった。
    そして「放送大学」「東京福祉大学大学院」において「臨床心理学」を学ぶことになってゆくのだ。

  • 2003年にはNPO法人格を取得し、名称を『Future School *燦*(フューチャースクール・さん)』に改め、 「不登校・ひきこもり問題」に苦しむ青少年、家族への支援活動をさらに充実させはじめた。
    ひきこもって部屋から出てこない子供へ毎日のように家庭訪問をし、社会復帰につなげてゆく中原恵人は 「損か得か、有利か不利か、そんなものではない人と人のつながりっていうものが確かにあるんだよね…。 そうしたものを地域に育めたら、素敵な街になるよね」と語る。

  • 「不登校・ひきこもり問題」支援のNPO法人『Future School *燦*』の理事長として、 日々、多くの生徒達と暮らしながら、自身も3児の父親となった中原恵人。
    父となったこともあってか、ここ数年は「幼児教育」にも取り組み始め、 スタッフも資格獲得などの準備を始めていた。 そしてこの吉川の街で「小さな子供達がイキイキと暮らせる場所を創ろう」と活動し始めた時、 「2010年12月」にある話が舞い込んできた。
    「この吉川で『政治』をやる気持ちはないか?」…。

  • 中原はかなり迷ったと言う。
    『*燦*』で預かっている生徒達、親御さん達のこと。
    今日まで10数年に渡って『*燦*』を支援してきてくれた多くの人々のこと。
    家族、スタッフのこと。そして自身が政治をやるべきかどうか…。
    一人で考えてみても結論は出ず、中原は、そうした周りの人間一人ひとりに会いに行き、意見を求めた。
    そこで多くの人に言われたのは「誰かが声をあげて、この社会を変えていかなければならない」 「応援するから、ぜひチャレンジして欲しい」という言葉だった。

  • そして中原は決断した。
    「誰かがやらなければならないことが、自分のところへまわってくる。
    そして多くの人がそれをやることに対して応援してくれる。 それは使命だということなのかなと思ったんだ」「不登校の子供に出会い、支援することになったのも同じでさ。 使命なんだろうなって思ってやってたから…」

  • 使命ならば、まさにそこに命を使わなければならない。
    そうして中原は元旦から駅での早朝挨拶立ちを始めた。
    「身体と心をね。つまり体力と気持ちを、まず捧げるというか、さらけ出すというかね…」 「でもね、やっぱりきつくなる時もあるよ。雪が頭の上に積もる中で立ち続けることも、 心ない言葉を投げつけられることもね」 「けれどちょうどそうした時に、頑張って!とかって声をかけてもらえることが多くて…」 「あー頑張らなきゃって。うん。 でも、自分のためだけだったらやれないなこんなこと…(笑)」 そう言うと中原はケラケラと笑った。
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